プルシェンコ、現在はコーチ?伝説のライバル、羽生結弦が選んだオリジンとは?

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フィギュア界の王様、皇帝プルシェンコ。フィギュアファンではなくても知っていますよね。15年というフィギュア人生で彼が人々に与えた影響は計り知れません。そして彼の作った伝説は今でも色あせることなく人々に記憶に残り続けています。



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”羽生結弦”

プルシェンコの引退後は?現在は何している?

2017年3月31日に現役引退してから3年以上経過した今、“皇帝”プルシェンコは何をしているのでしょうか。プライベートでは、2009年にヤナ・ルドコフスカヤさんと2度目の結婚をし、子供も4人おり、にぎやかな家庭を築いています。そのうちの1人、アレクサンドルはスケートもしているようです。愛称はサーシャといい、プルシェンコのアイスショーでの共演でも話題になりました。
競技を離れてからは、アイスショーへの出演やスケート学校の開校など、様々な形でスケートに携わっているようです。最近では、女子の4回転ジャンパー、アレクサンドラ・トルソワのコーチとなったことで注目を集めました。このように若手選手の育成に力を入れているようです。そのため、アイスショーなどへの出演は減ってしまいますが、弟子を連れて再びオリンピックに戻ってくる姿は楽しみでもあります。

プルシェンコがプロデュースした壮大なアイスショー、豪華すぎるキャスト

引退後のプルシェンコはアイスショーに出演していますが、プルシェンコ自身がプロデュースしているショーがあるんです。

そのショーの名前は「The Snow King」!

フィギュア界の王様とも呼ばれたプルシェンコにふさわしいネーミングですよね。しかもこのショーにかかった金額はなんと5億円です。金額もさすがの一言です。

このショーは童話の「雪の女王」をモチーフに作られ、プルシェンコは自ら雪の王役で出演します。プルシェンコ自身も輝かしい成績を残してきたレジェンドですが、他の出演者や演出家も豪華すぎると話題になっています。

まず、ゲルダ役のイリーナ・スルツカヤはこちらもオリンピックメダリストで、世界選手権でも2度の優勝を誇った選手でした。続いてカイ役はジョニー・ウィアーです。全米選手権3連覇を成し遂げ、最近では羽生結弦選手の衣装デザインを手がけたことでも話題となり、デザイナーとしても才能を発揮しています。さらに王子役にはブライアン・ジュベールと、こちらの方も世界選手権の優勝経験と3度のオリンピック出場など数々の成績を残してきました。

他にも世界で活躍してきた選手達が出演しています。

また、ショーのプロデューサーはプルシェンコの妻でもあるヤナ・ルドコフスカヤが務めています。

衣装や演出、小道具にもこだわっており、ショーの見栄えも完成度も高めています。

映像でちょっと見てみましょう。

豪華でファンタスティックな衣装!装置もすごいです。

さすがバレエ大国ロシア!これはロシアならでは、ロシアしかできないでしょうね。

さらに、ゲスト出演として本田望結・紗来姉妹やプルシェンコの息子のサーシャくんも出演したようです。

そして昨年は「シンデレラ」をアイスショーにしていました。

こちらもとてもキレイ。

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50 оттенков волшебства #золушкаплющенко от @rudkovskayaofficial и @sergeyfilin_official 🧚

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ロマンチックなストーリー仕立てのショー、日本でももっとみたいです!



トルソワ移籍先はプルシェンコ、コーチとしての手腕はいかに

最近、フィギュア界で衝撃を受けたニュースと言えば、女子シングルのロシアの三銃士の一人であるアレクサンドラ・トルソワがエテリ・トゥトペリーゼコーチをのもと離れ、プルシェンコに師事するというニュースでしょう。

これにはびっくりしました!

世界ジュニア女王であり、わずか15歳にしてシニアの国際大会でも表彰台に上がり続ける彼女の決断に世界が衝撃を受けました。また、複数の4回転ジャンプを操るジャンパーであり、男子においても最高難度の4回転ルッツを跳ぶことができる、いわば天才少女です。

そんな彼女がシニア2年目にしてコーチ変更という決断の背景にはエテリ・トゥトペリーゼ組内での自分の扱いの粗さも関係していたようですが、プルシェンコの芸術性に憧れてのことだったようです。

プルシェンコは現役引退してから間もないため、コーチとしての経験は浅いというか、ほとんどないと言ってもいいです。

おそらく、トルソワ選手を今後どう育てていくか、その過程によって結果を得られるかなど、プルシェンコ自身の持つコーチとしての手腕が試されるときであることは確かでしょう。




プルシェンコが持つ伝説、伝説プログラムと伝説のエキシビションナンバーとは?

プルシェンコがフィギュア界に与えた影響は計り知れません。長年にわたってダイナミックかつ芸術的なプログラムで人々の心を掴み、多くのトップスケーター達の憧れで居続けたのです。羽生結弦選手もその一人です。そんな彼の伝説プログラムは「ニジンスキーに捧ぐ」ではないでしょうか。

ニジンスキーとは伝説のバレエダンサーで、天才と言われ、大き過ぎる才能に苦しんだ人物です。フィギュアとバレエ。異なる競技ですが、どこか似ていて、2人の境遇も似ていたからこその完成度でした。この「ニジンスキーに捧ぐ」をフリープログラムに用意して挑んだ2004年のロシアナショナルでは、当時の採点方式ではあるが芸術点でオール満点を獲得する異次元の滑りを見せました。

そしてもう一つの伝説、エキシビナンバーの「Sex Bomb」です。2000-2002年ごろに披露していたエキシビションナンバーで、特に2001-2002シーズンは出場した全大会で優勝しました。

このナンバーはマッチョな衣装もさることながら、コミカルな振付がクセになるエキシビションならではのプログラムです。日本でも人気が高く、2017年に日本のアイスショーで10年ぶりに披露してくれました。

競技では「皇帝」としてかっこいいプルシェンコばかり見ていたので、このエキシビションを見たときの衝撃ったら。

「プルシェンコって、こういう人なの??????」と動揺しまくりでした。笑ったけど。

2018年には息子のサーシャくんともこのナンバーで共演しています。サービスが好きなプルシェンコらしいナンバーです。



羽生結弦が選んだ「origin」とプルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」

羽生結弦選手の伝説プログラム「origin」は先ほど紹介した「ニジンスキーに捧ぐ」と同じ曲を使用しています。

羽生選手がスケートを始めたきっかけはプルシェンコであり、最も敬愛するスケーターもプルシェンコです。

アイスショーで共演するふたり。

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そんな彼がプルシェンコの伝説プログラムといわれる、「ニジンスキーに捧ぐ」に挑戦し、そのプログラムもまた伝説となりました。

所々に見られる羽生選手の持つオリジナリティとかつてのプルシェンコの演技とが融合したようなプログラムでした。衣装は黒を基調としてビーズを散りばめたデザインがどことなく似ています。




皇帝プルシェンコにライバルの存在はいたのか?

15年以上の間、世界のトップを走り続けたプルシェンコ。

五輪は4回出場し、そのうち2回は個人と団体で金メダル、残りの2回でも銀メダルを獲得。世界選手権3回優勝、欧州選手権7回優勝、グランプリファイナル4回優勝、グランプリシリーズ通算22勝と、空前絶後の記録を残しています。

度重なる怪我に苦しめられ、引退発表も3度も繰り返し、自分の体を犠牲に戦ってきた競技人生。しかし、採点方法が変わってからも表彰台から離れることなく、常に強者であり続けたプルシェンコにライバルは存在するのでしょうか。

ソルトレーク五輪の前後2年間、プルシェンコに対抗した選手はヤグディンです。まだプルシェンコが若かったこともありますが1998、1999年の世界選手権での優勝者はヤグディンで、ソルトレーク五輪も優勝はヤグディン、このすべての大会でプルシェンコは2位でした。

しかし、ヤグディンが引退した2003年以降、2006年のトリノ五輪までプルシェンコの一強時代が到来しました。彼の全盛期に対抗できるいわゆるライバルの存在はいませんでした。その後、怪我の影響で引退、五輪前に復帰を繰り返しましたが、復帰する五輪のたびにメダルを獲得する圧倒的強さは健在でした。

ソチ五輪の個人戦こそ古傷の悪化で危険となりましたが、団体戦では金メダルを獲得しています。

こんなにも長い間、常にトップ選手であり続けたプルシェンコに、その時代ごとに現れるトップ選手達が勝負を挑みましたが、対等に渡り合える選手はいなかったように思います。そんなプルシェンコだったからこそ、人々は“皇帝”と呼んだのでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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