ザギトワの故郷・イジェフスクってどこ?16歳でスーパースラムを達成していた?

こんにちは、さややです。テレビ朝日系列で「激動フィギュア新時代・女王ザギトワ引退騒動の真実」が2月16日午後1:55から3:20まで放送されます。17歳で五輪金メダルからすべてのメダルを手に入れたザギトワ選手。その故郷はどんなところなのでしょうか?
当ブログでは、ザギトワ選手の故郷とジュニア時代について、調べてみました!



ザギトワの故郷・イジェフスクとは?

モスクワから東へおよそ1,200km離れたザギトワの故郷・イジェフスク。

地図で示す赤い●の地点です。中央アジアに近い土地ですね。

Wikipediaによると、ザギトワは「ムスリム(イスラム教徒)でタタール系の血を引いている」とのこと。

後にタタルと自称する人々はモンゴル部族に従属してモンゴル帝国の一員となり、ヨーロッパ遠征に従軍したため、ヨーロッパの人々にその名を知られた。ヨーロッパではモンゴルの遊牧騎馬民族が「タルタル (Tartar)」と呼ばれるようになり、その土地名も「モンゴリア(モンゴル高原)」という語が定着するまでは「タルタリー」と呼ばれた。中でもロシア語の「タタール(Татар)」はよく知られているが、ロシアはヨーロッパの中で最も長くモンゴル(タタール人)の支配を受けた国であり、ロシア人にとって「タタールのくびき (татарское иго)」という苦い歴史として認識されている。東ヨーロッパではモンゴル帝国の崩壊後にロシアの周縁で継承政権を形成したムスリム(イスラム教徒)の諸集団をタタールと称した。彼らの起源は、モンゴル帝国の地方政権のうちで後のロシア領を支配したジョチ・ウルスにおいてイスラム教を受容しテュルク化したモンゴル人と彼らに同化した土着のテュルク系、フィン・ウゴル系諸民族などで、これが現在のロシア・東ヨーロッパのタタール民族に繋がっている。

一方、東アジアでもモンゴル帝国の崩壊後も「タタル」の語は使われ続け、漢字で「韃靼」と記された[7]。この韃靼はかつての達靼(タタル部)ではなく、モンゴル人全体を指しているため、使い方としてはヨーロッパと類似している。

以上のように、「タタル」という呼び名は突厥碑文の他称に始まり、のちに突厥碑文のタタルから派生したタタル部(達靼)が自称するようになった。同じく突厥碑文のタタルから派生したモンゴルが巨大なユーラシア帝国に形成すると、タタル部はその一員となるが、この時代にモンゴル帝国の遊牧民全体がヨーロッパ、中国から「タルタル、韃靼」と他称された。また、ロシア・東ヨーロッパではモンゴル帝国を政治的に継承した諸民族が「タタール」と呼ばれ、その子孫であるテュルク系ムスリムは今もなお「タタール人」と自称している。

(タタール人について、出典Wikipedia)

「モンゴル帝国の末裔」といっていいでしょうか。
彫りの深い顔立ち、黒髪はタタール系だからなのですね。

タタール人、中国では「韃靼(だったん)人」と呼びます。スケートファンの私が「韃靼人」と聞くと思い浮かぶのは…

「韃靼人の踊り」、2016年のネイサン・チェンのプログラムですね。

2016年NHK杯の衣装

このプログラム、すごく好きでした!



ザギトワ、ジュニア時代は意外にも遅咲き

ザギトワ自身は5歳からスケートを始めたものの、7歳までは専門的な指導を受けていなかった、フィギュアスケートのコーチがいない環境で育ってきたそうです。

フィギュアスケートのコーチから指導を受けるようになっても、10歳までは表彰台にも乗っていなかったそうで、遅咲きだったことが、その経歴から伺えます。

12歳の時に、ある大会に出場するためモスクワに滞在していた際、母に懇願し、名声を得ていたエテリ・トゥトベリーゼの元を訪れる。3回転ジャンプすら飛べなかったため即入門とはいかなかったが「もう一度、見たい」と年明けにモスクワへ来るよう促される。2015年から親元を離れ、モスクワに住む祖母と同居しながらトゥトベリーゼの元でトレーニングを開始するも「自発的に練習することを理解できていない」と、わずか3か月で見限られた。

12,3歳といえば、ジュニアで世界の表彰台にのるような選手がエテリコーチのもとにはたくさんいたはず。12歳からエテリコーチのもとで練習を始めても、一度は見限られたそう。

それでもあきらめずに練習を続けて、14歳で衝撃のジュニアデビュー。

ジュニアグランプリファイナルで、ジュニア選手として史上初の200点超えとなる207.43点で優勝したのです!



ザギトワ、平昌五輪金メダル、そしてスーパースラムを16歳で達成!

そして、翌シーズン、シニアに転向して、グランプリファイナルで優勝、続くロシア選手権も初優勝と快進撃を続けて、平昌オリンピックを迎えます。

15歳で出場した平昌オリンピックでは、そこまで無敗を誇っていたメドベージェワが持っていたショートプログラム歴代最高得点をやぶり、82.92点を出し、金メダルを獲得します。!

しかし、その翌年、不振にあえぎ苦しいシーズンを送りましたが、2019年の世界選手権で優勝し、キム・ヨナ以来の史上二人目の「スーパースラム」を達成。

(オリンピック、世界選手権、欧州選手権、グランプリファイナル、世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナル、という主要国際大会の金メダルを獲得)

それも16歳という若さでした。

ザギトワ選手が、17歳という若さでこのような劇的な人生を歩んできたことに改めて驚きを禁じえません!

このテレビ番組では、ザギトワの故郷でも取材がされるということですので、番組放送後、記事を更新します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。